安全・安心研究センター 広瀬弘忠のブログ

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地震・津波

原子力発電所は、電動式の猛毒物質大量貯蔵庫である。

この毒物のかたまりを守っているのは、皮肉なことに、それ自らが生み出しているのと同じ電気である。

電気が切断されると、原子力発電所は時限爆弾と化すのである。

全電源喪失のような事態を引き起こすのは、津波や地震だけではない。

テロでも戦争でも大火災でも大洪水でも起きるだろう。

複合災害の最終かつ最大の災害因が、原子力事故や感染症の大流行であるパンデミックのようなものであるとするなら、どのようなドミノの組み合わせが、この最終ドミノを倒すことになるのか、十分に検討する必要がある。

想定外を想定せよ

われわれの生活が電気に頼りすぎていることが問題なのかもしれない。

日常生活から医療、通信、交通にいたるまで、すべてに電気が使われている。

しかも電気があるのが当然だという生活をしているのだ。

あたかも、水や空気があるのは当然であるかのように。

だが、それらはいずれも、あるのが当たり前と言えるほどに確たるものではない。

たとえば、3月11日のあとの医療の現場の混乱ぶりについて、NTT東日本関東病院の病院長である落合滋之さんは次のように書いている。

「仮に計画停電となったら・・・。全てが電子カルテ化されている当院は、今更、紙カルテや紙の伝票による運用に対応できるのだろうか。システムダウンを想定してそのための訓練も行ってきたはずではあるが、システムが安定して既に久しいだけに、紙カルテや伝票の所在すら記憶が朧になりかけてはいないだろうか。CTやMRIのような医療機器は、電流・電圧の急激な変化に弱いと聞いている。いざ計画停電が発令されたら、直ちに対応するべく、短時間の内に、そのスイッチを正しく切ったり入れたりすることができるのだろうか。水道の蛇口や病院のドアも自動になっているが、停電時、これらはどうなるのだろう。非常電源が立ち上がることで、これら全てが何事もなかったように機能するのだろうか。」

この病院は、今年の3月に、国際的病院機能評価機関であるJCI(Joint Commission International)の認承評価をパスしている。

日本では2例目としてJCIの認承評価を受けた優れた病院である。

審査の最終段階の講評が、偶然にも東日本大震災のあった3月11日の午後にあったというのだ。

アメリカからやってきた3人の審査員は、大旨、次のように述べたという。

成績は良好だが、問題もある。

そのひとつは、想定外を想定していないことだ。

それは東京全体が大災害に見舞われ、重油や水が1週間にわたって利用できないとか、東京中が大停電になるというような事態だという。

Think about unthinkable things というのが、彼らの指摘だったという。

これは日本のリスク管理の最も弱いところをついた言葉でもある。

審査員が去った十数分後に、あの巨大地震が襲ってきた。

続く

災害因と災害との駆け引き

まず最大の災害因への対処が優先されるべきである。

東日本大震災の場合、それは原子力災害であった。

われわれが震災後3か月の、今年の6月半ばに行った全国世論調査(全国から日本全体の縮図となるように200地点を選び出し、各地点から15歳-79歳までの男女を住宅地図にもとづいて無作為に抽出。合計1200人に面接留置法でアンケート調査を実施した。)では、「東日本大震災の地震、津波、原子力災害のうち、最も深刻な被害を与えたのは何ですか」という質問を行った。

結果は、原子力災害という回答者が55.4%、津波が24.0%、地震が19.1%であった。ここから、われわれ日本人が、東日本大震災を、地震災害でも津波災害でもなく、原子力災害であると認識していることがはっきりと見てとれる。

もし、このような災害認識が妥当であるとするならば、東日本大震災の教訓を受けて、われわれが第1に注力すべきは地震対策ではなく、原子力発電所の安全対策であり、次に津波対策である。

それらの災害対策は独立のものと考えるべきだ。

われわれは、地震のマグニチュードだけに心を奪われすぎていないだろうか。

特に、海溝型の巨大地震においては、津波の被害が地震のそれを大きく上回ることが十分に予想されるだけでなく、日本の原子力発電所はすべてが海水を冷却水として用いるため海岸沿いに立地していることを考慮すると、この種の巨大地震では、原子力発電所の安全対策が第1で、次が、津波対策、最後が地震対策の順であることがわかる。

続く

福島第1原子力発電所の事故は、欧米を中心に、国際的な脱原発ムードを高めた。

 

他方、国内的には、広範囲にわたる放射能汚染による健康障害と、福島県を中心とする東北3県からの人口流出、経済基盤の弱化、放射性物質による汚染地域としてのイメージの悪化など、日本の社会、経済、文化への重大な影響をもたらしている。

 

日本のような人口稠密で工業化の著しい先進国では、国内で発生する災害因の規模と、それに起因する災害の大きさとは、きわめて高い相関を持っている。

 

世界の中で、下り坂を降りるようにその存在感を希薄化させつつあった日本という国は、この災害によってさらに下降速度を速めるだろう。

 

一般に、大災害は社会変化を加速し、通常は一世代かかって起こるような変化を、数年のうちに達成させてしまう。

 

続く

だが、その後は、地震、津波、原子力事故に起因し関連する幾多の災害因が派生し、東北地方を中心に、さまざまな関連災害を水紋状に日本全国に拡散させていった。

特に、福島第1原子力発電所の事故は、そのなかの最大の事象であった。

災害の終息までに数十年を要し、その影響は短期的には、電力不足によるサプライチェーンの切断に起因する工業製品、食品産業などの生産力の低下と、放射性物質による汚染で、農林漁業のこうむった損失は大きい。

 

原子力発電に依存しすぎたツケは、エネルギー需給の悪化を招き、わが国の経済的地盤沈下をもたらした。

さらにこの大事故は、安全を標榜して原子力の利用の推進を国是としてきた日本政府への不信をまねいた。

これらはもっぱら政治・経済的被害だが、日本人の安全意識にも大きな影響をおよぼした。

身近なところに思わぬ危険が潜んでいるという危機感である。

災害因の複合化が、災害そのものの複合化をもたらす。

災害因のもたらす衝撃に耐えられない人間の営みがあって、その営みの絡みがいくつかの箇所で切断されるときに、災害が発生する。

われわれが意識せずに、ごくあたりまえとしてきた安全が、単なる「神話」であることが判明したのだ。

われわれはリスクに敏感になり無力感にとらわれると同時に、自分の安全は自分で守る以外には、誰も守ってはくれないという自前意識を強く持つようになった。

 

続く

現代は複合災害の時代である。ひとつの災害がドミノ倒しのように次々と新たな災害を引き起こす。

しかも、この災害連鎖は線状に並ぶだけではなく、多くの場合、2次元の面としての広がりをもって伝播して社会の脆弱性をあぶり出していく。

そして、あとに続く災害ほど被害規模が大きくなることもあるのだ。東日本大震災のように。

2011年6月被災地にて現地調査

 

複合災害の時代

 2011年3月11日の東日本大震災は、典型的な複合災害である。

まず、東北地方沖の太平洋の海底でM9.0の巨大地震が発生した。

第1のドミノが倒れた。

この地震は、多くの建物を倒壊させ、死者、行方不明者を出した。

次いで、この地震を原因とする巨大津波が、東北地方の太平洋沿岸を中心とする地域を襲った。

第2のドミノが倒れたのだ。

この津波は、地震をはるかに超える壊滅的被害をもたらした。死者・行方不明者、約2万人の9割以上は、この津波による犠牲者である。

そして、この津波がうしろから押し、杜撰な原子力発電所の安全管理が前から引き倒すかたちで、レベル7の原子力事故という最大のドミノが倒れた。

ドミノ倒しはこれで終わったわけではないが、ここまで3つの災害因の生起は、直線的な災害因の連鎖と言って良かろう。

福島へのインパクト

 

福島県は、北海道、岩手県に次ぐ日本で3番目に面積の大きな県である。人口は全国で18位(2010年データ)、65歳以上の老齢人口は、全体のほぼ4分の1である。東日本大震災以前から過疎化と高齢化が進んでいた。県の人口は200万人を少し超える程度で、漸減傾向にあった。だが、2012年1月1日現在の推計では、県の人口は、200万人を割り込んでいる。

幼い子供をかかえる若い世代を中心に県外への移動に歯止めがかからない。国の復興対策本部が把握しているだけでも、すでに5万8000人が県外に出たという(2011年11月10日朝日新聞)。実際には、この数値をかなり上まわる人々が県外に流出したと考えられる。また文部科学省が2012年2月6日に発表した学校基本調査によれば、福島県の小学生の数は前年度比で7.9%減であるという。全国の小学生についてみると、少子化による影響で前年度比1.5%減であるので、福島の小学生の減少幅はきわめて大きいと言わざるを得ない。おそらくこの減少傾向は、将来にわたって継続していくものと考えられる。

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原発災害の難しさ

 

 放射性物質の流れをシミュレートしたスピーディの結果が示すように、環境中の放射線量は、地形や放射性物質の放出時の風向き、降雨・降雪などの条件により大きな影響を受ける。60キロも離れた福島市や郡山市の方が、20キロの警戒区域内の川内村の一部よりも線量が高かったりする。

 3月15日には、主として2号機より放出された放射性汚染物質のプルームが北西方向に流れて、折からの雨で、飯舘村は高濃度の放射能汚染を受けることになった。避難指示が出された地域の多くの人々は、阿武隈山地越えの限られた避難路のなかから、メインのルートである飯舘の方向に逃げて、大量の放射線被曝をする破目になったのである。飯舘やその北西隣にある川俣町では未だに線量が高い。

 飯舘村ではほとんどの住民が避難していた。村役場の機能は、福島市飯野町に移転している。庁舎には留守番の職員しかいないのである。だが、不思議なことに、1月末に私が訪れた時には、役場の駐車場に多数の車が出入りしていた。運転している人々に聞くと、地区ごとに村内をパトロールする「見守り隊員」なのだという。庁舎の裏手に「いいたて全村見守り隊パトロール詰所」がある。中に入ると、広いホールに講習会場のようにたくさんの長テーブルが並べられ、その両側に椅子が配置されている。20~30人の人々が思い思いのようすで座っていた。この「見守り隊」は村民400人ほどからなり、1日おきに昼夜3交替、1日8時間勤務する。4時間見回りをして4時間休息を取るスケジュールになっているという。隊員たちは南相馬などの線量の低い地域に避難しており、見守り隊員としての仕事の報酬と、村民相互の交流のために、放射線量の高い飯舘にやってくるのである。

一人ひとりが累積線量計を持っている。私が話を聞いた初老の男性は、この8か月間の飯舘でのパトロールで4ミリシーベルトを浴びたと言い、「俺たちはモルモットだから。ただで健康診断をやってくれるんだ。データ取っているだけだ。10年も経ってがんで死んだら、死者1てなものでねえか」と言い、著者に対しても「早くここを出て行ったほうがいいよ」と笑っていた。この8か月間で、村内の犯罪は、空き巣が1件のみということであるから、この事業の目的は、明らかに雇用創出である。

原発災害は福島に何をもたらしたか

 

今回の原発災害のもとは、東京電力福島第一原子力発電所で発生した事故である。この原発は、普通には福島第一原発と呼ばれる。東京電力では福島第一原発をF1、第二をF2と呼ぶ。だが地元の人々は憤を込めて言う、「なぜ福島という言葉が原発名につけられているのか」と。そのために福島の人々は重いスティグマを負わされてしまったというのだ。他の原発で県名がついているのは、福島第二原発のみで、北海道にあるのは北海道電力の泊原発、青森県には東北電力の東通原発、宮城県の女川原発、新潟県には東京電力の柏崎・刈羽原発、静岡県には中部電力の浜岡原発、原発銀座と呼ばれる若狭湾の沿岸には、敦賀、美浜、大飯、高浜などの原発がある。中国電力、四国電力、九州電力管内でも事情は同じである。いずれもそれらが立地する市町村名などの地名を付けられていて、県名が付けられてはいないのである。福島県民としては、県全体に汚名を着せられたような感じがすると言うのだ。

被災者は放射能除染の効果に懐疑的である。「除染しても線量はほとんど下がらない」とか「除染しても、すぐ元に戻る」という話をしばしば聞かされたものである。著者が利用したタクシーの運転手は、伊達郡桑折町こおりまちで桃の果樹園をやっている。彼のところの桃の木も放射能に汚染されていたので、業者がやってきて高圧水を吹きつけて除染したという。除染済みの木にはピンクのリボンをつけるのだが、しばらくするとピンクリボンの桃の木の線量はもとに戻っていたと、諦め口調で話していた。

かりに除染が進んで、政府や市町村から避難地域の安全宣言が出されたとして、いったいどのくらいの人々が、かつての自宅に戻って生活するであろうか。特に若い世代の人たちをどのくらい引きつけられるかが問題である。医療や教育、交通などのインフラのない、もともと高齢者が多く、過疎化が進行していた地域である。新しい産業を誘致するインセンティブもあるようには見えない。そして、終息するまでに数十年かかる災害の特殊性がある。排出された放射性物質はヒロシマに投下された原爆の数百発分を下らないのである。地球規模での放射能汚染をもたらしFUKUSHIMAは、今やチェルノブイリ、スリーマイル島と並んで原発災害の代名詞にまでなっている。我々の調査で、日本人の多くが、東日本大震災とは原発災害であると認知している理由は、十分に理解可能である。

被曝への不安は弥漫びまん的である。そして、とらえようがないだけ、心身への危害性は大きい。下図は、既述の我々の全国調査で、原発事故による放射線への不安の程度を聞く質問への回答分布を示している。「非常に不安である」と「かなり不安である」とを合わせると、日本中で8割以上の人々が放射線への被曝の不安を訴えている。


原発災害の実態は不分明でイメージの世界でしか理解することができない。災害衝撃期は長期にわたり、終息の時期も影響の範囲も科学的に確定できない。すべてがファジーなのである。そして、さらなる問題は、この原発災害が人為災害であると、一般に認知されていることである。被災者は誰が加害者であるかを知っている。責任を追求し、損害賠償を求めるべき相手がある。国や政治家、原子力関連の企業への問責は、水紋状に拡大し、国境を超えて、国際的な原発リスクについての厳しい問いを投げかけている。レベル7の原発災害は、M9.0の地震の被害よりも規模はより大きく、影響はより深刻である。

前回の記事で最も深刻な被害を与えたのは「原発災害」だと答えた人が、全体の55.4%(665人)に達していることを示した。そこでこれらの人々に、原発災害の原因をどう考えるかを尋ねたのである。回答の分布は下図に示されている。原因帰属の順からは、「東京電力の原発に対する安全管理」「津波」「政府の原発に対する監督・管理」の順に事故原因への寄属の程度が減少している。ここから読み取れるのは、原発災害は人為災害だという国民の基本的なスタンスである。

地震と津波と原発災害の複合

 

3.11以来、私は東日本大震災の被災地を4回訪れて調査を行った。何といっても、最大の被災地は福島県である。地震と津波による大打撃を受け、しかも原発災害で甚大な被害をこうむっている。

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われわれが東日本大震災の3ヵ月後に行った全国調査から得られたデータにより作成した図である。「東日本大震災で起きた地震、津波、原発被害のうちで、最も深刻な被害を与えた災害は何ですか」という質問に対する回答分布を示している。原発災害が最も深刻であったという回答が過半に達しているのが注目できる。

 

M9.0の巨大地震や10メートルを超える巨大津波よりも、直接的な死者を出さなかったレベル7の過酷原発災害のほうが、なぜ深刻だと判断されるのか。

理由1:地震や津波などの自然災害は体感型災害であるという事実にある。被害の程度が具合的に把握でき、しかもその責任を帰属させるべき大自然を前にして、被災者の多くは、ひたすら頭をたれる以外になすすべがないからだ。

理由2:理由第1と密接に関係している。原発災害には、インフルエンザ・パンデミックと同じように、災害因を五感でとらえられない不気味さがある。私が福島第1原発近くの避難所であった人々は、原発関連の仕事をしていた人が多いせいか、放射能被爆に関しては、恐れというよりも諦めの気持ちをあらわにしている人が多かったように思う。避難を余儀なくされているが、東京電力に対するうらみはないと言うひともいる。だが、不思議なことに、60キロも離れた福島市や郡山市の人々は、両市の線量がともに高い一方で、原発による直接的恩恵も受けていないせいもあろうか、放射線被曝に対する恐怖心がより強いのである。