(経緯)
2010年2月27日15時34分(日本時間)発生のチリ地震(M8.8)による津波に関して、気象庁は、翌28日9時30分、すなわち、地震発生の18時間後に東北3県に大津波警報を発表した。17年前の北海道南西沖地震(奥尻)以来の大津波警報だった。同時に、太平洋岸の各県に津波警報・注意報が出され、これを受けて189市町村の168万人に避難指示・勧告が出された。
地震発生から27時間後の18時37分(日本時間)、アメリカ大洋大気局の太平洋津波警報センターは、太平洋地域の津波警報を解除した。気象庁は、19時1分に大津波警報を警報に切り替え、地震発生の35時間後に、全ての警報を注意報に切りかえた。
3月1日、気象庁は津波を過大評価したことを陳謝した。メディアも政府・自治体も、この過大評価に寛容で、災害の専門家は、むしろ避難率の低かったことを遺憾だとし、その理由を住民の危機感のなさのうちにさぐろうとしている。総務省消防局の調べでは、住民の避難率は全体では3.8%、このうち大津波警報の発表地域では7.5%であった。この避難率は、これまでの避難指示・勧告の発令時と大差はない。この間、鉄道、フェリーなどは運休し、高速道路は閉鎖された。
(科学的根拠にもとづく問題指摘)
科学専門誌「Nature」は、最新号(464, 7285, 14-15)で今回の津波と各国の対応についての紹介記事を掲載している。それによると、地震発生から2時間以内に、アメリカの津波の専門家たちは、チリ以外の太平洋沿岸諸国の津波の被害は小さいと予測していた。だが、現実には、ハワイから日本までの太平洋沿岸の広範な地域に津波警報が発令されている。アメリカの何人かの津波の専門家たちは、このような対応を用心深さの限度を超えるものだと言い、別の専門家たちはコストのかかる過剰対応だとしている。今回の地震の震源域が比較的浅い海底にあり、地震によって動く海水の量が小かったというのが、津波の被害が小さいとする科学的根拠だ。津波の専門家であるUniversity of Southern California のCostas Synolskis は「警報システムは、予測が信頼できる場合にのみ十全に機能する。だが、警報を出すにあたっては抜け道もある」と述べている。
アメリカ大洋大気局の太平洋津波警報センター(PTWC)は、チリ以外での津波の被害は小さいという科学的予測にもかかわらず、50年前(1960年)のチリ地震による津波で被害を受けたことにかんがみて、住民を危険にさらすことはできないと判断して警報を出した。その結果、ハワイでは数千人が避難した。実際には、ハワイに到達した津波は、通常の高波程度であり、日本では小規模な浸水があった程度である。PTWC所長のチャールズ・マクリーリは、津波の科学的モデルによる予測被害の程度に比し、より慎重な対応を取ったことを認め、津波モデルへの信頼性が増していけば、警報の解除はより容易になるだろうと述べている。
このような場合に、津波警報を出すのはよいとしても、過剰な対応は警報への信頼性を失わせる。慎重すぎたと批判されるアメリカ太平洋津波警報センターが太平洋沿岸諸国に出していた津波の警報を解除した後も、さらに7時間半にわたって、気象庁は警報の発令状態を放置している。あまりに慎重すぎたとのそしりはまぬがれないだろう。
(今回の津波警報と避難指示・勧告の問題点)
今回のショッキングな避難率の低さは、伝家の宝刀である大津波警報を出すにあたって、津波の危険に対する気象庁の説明と説得が十分ではなかったことが原因だ。また、科学的根拠も薄弱なままに、きわめて長時間にわたって警報を引きのばしながら、結果的に予測をはずしたことによって、警報に対する信頼感を損ねた。
人間も含めて多くの動物は危険を反射的に避ける。ところが、警報は危険そのものではないために、警報と避難行動は直結しない。警報の受容はいくつかの意思決定の段階を経て危険回避の行動をひき起こす。
そこで、気象庁のような正当化された権威が出す警報、市町村長が出す避難の指示・勧告が持つべき要件は、ほぼ次のようになる。
①説得行為であり、恫喝は通用しない
②リスクは可視化されているか?
③危険は本当にあるのか?それは具体的に明示されているか?
④危険の適宜見直しが行われているか?
⑤人間が行うCost-Benefitの観点からの配慮がされているか?
もし、国民を子供扱いして、安全面だけに配慮して、オーバーに出すと、警報は割り引いて判断される。過大評価とか過小評価の問題ではなく、虚報は結果において警報の信頼度を低める。科学的なリスクの見直しを行うことによって、それまでの判断の誤りを修正し、より妥当な警報、避難指示等の発表、解除を可能にしなければならない。安全社会と健全な社会の双方を両立させることが重要である。そうでないと、何か被害があれば責任を問われることを配慮する行政は、警報自体がもたらす社会・経済的損失が小さいと判断される場合には警報を乱発し、一度出した警報は緩められない。その結果、地方自治体も避難指示・勧告を解除できないということになる。
地震、津波だけではなく、テロやインフルエンザの流行でも同様なことが起こる恐れがあり、行政やメディア側の過剰反応は社会・経済的損失だけでなく、それによって個人もまた大きな損失をこうむる可能性があることを知るべきである。