原発災害の難しさ
放射性物質の流れをシミュレートしたスピーディの結果が示すように、環境中の放射線量は、地形や放射性物質の放出時の風向き、降雨・降雪などの条件により大きな影響を受ける。60キロも離れた福島市や郡山市の方が、20キロの警戒区域内の川内村の一部よりも線量が高かったりする。
3月15日には、主として2号機より放出された放射性汚染物質のプルームが北西方向に流れて、折からの雨で、飯舘村は高濃度の放射能汚染を受けることになった。避難指示が出された地域の多くの人々は、阿武隈山地越えの限られた避難路のなかから、メインのルートである飯舘の方向に逃げて、大量の放射線被曝をする破目になったのである。飯舘やその北西隣にある川俣町では未だに線量が高い。
飯舘村ではほとんどの住民が避難していた。村役場の機能は、福島市飯野町に移転している。庁舎には留守番の職員しかいないのである。だが、不思議なことに、1月末に私が訪れた時には、役場の駐車場に多数の車が出入りしていた。運転している人々に聞くと、地区ごとに村内をパトロールする「見守り隊員」なのだという。庁舎の裏手に「いいたて全村見守り隊パトロール詰所」がある。中に入ると、広いホールに講習会場のようにたくさんの長テーブルが並べられ、その両側に椅子が配置されている。20~30人の人々が思い思いのようすで座っていた。この「見守り隊」は村民400人ほどからなり、1日おきに昼夜3交替、1日8時間勤務する。4時間見回りをして4時間休息を取るスケジュールになっているという。隊員たちは南相馬などの線量の低い地域に避難しており、見守り隊員としての仕事の報酬と、村民相互の交流のために、放射線量の高い飯舘にやってくるのである。
一人ひとりが累積線量計を持っている。私が話を聞いた初老の男性は、この8か月間の飯舘でのパトロールで4ミリシーベルトを浴びたと言い、「俺たちはモルモットだから。ただで健康診断をやってくれるんだ。データ取っているだけだ。10年も経ってがんで死んだら、死者1てなものでねえか」と言い、著者に対しても「早くここを出て行ったほうがいいよ」と笑っていた。この8か月間で、村内の犯罪は、空き巣が1件のみということであるから、この事業の目的は、明らかに雇用創出である。