熊本地震に見る災害関連死の認定には審査会を設置する市町村のマンパワーや財政力が決定的役割を果した(2021年4月15日 日経新聞朝刊)
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地震・津波
2021年2月28日長埼新聞他各紙に掲載「10年前の東京電力福島第1原発事故の経験は生かされず、再稼働した原発で同様の過酷事故が起れば、住民避難は困難になる」と論評

21世紀型の災害は、規模の大きさと複合的な波及性、そして、なによりも衝撃がきわめて長期に渡るという点で、過去の災害とは異なる。従来型の災害に慣れてきたマスメディアは、この型の災害の本質を正確に掴みきれないでいる。
昨年3月11日の東日本大震災では、最初に巨大地震が発生した。次にこの地震による巨大津波が発生した。警察庁の発表によれば、死者・行方不明者19,009人のうち、9割以上が津波による溺死である。
いま、メディアの関心は津波に集中し、巨大津波を引き起こす海溝型地震の危険を訴える報道にシフトしている。「あつものに懲りて膾を吹く」たぐいの過剰な被害想定には十分な批判の目を向けるべきだろう。
津波は、最悪の原発事故を引き起こした。災害ドミノ倒しはこのように直線的に起こるだけではなく、面的な広がりももっている。
たとえば、地震や津波で生じた瓦礫の処理を行う人々は、将来、アスベスト特有のがんである中皮腫にかかるかもしれない。17年前の阪神大震災で瓦礫撤去を行なっていた人々が中皮腫にかかり、労災認定を受けている。現代の災害は、「想定外」の被害を随所に生み出すのである。
原発事故がもたらした放射能汚染は、農林、漁業に大打撃を与えている。マスメディアは、これらの現実を全体として国民に理解してもらえるよう努力しているだろうか。個々の被害を、複合災害全体を俯瞰する立場から捉え、その本質に踏み込むことが重要である。
被害者に寄り添うのは良いが、災害に個人の悲劇のみを見るのは安易すぎる。解くべき課題は、現代社会がかかえる災害脆弱性なのである。木だけを見ていては森は見えてこない。
次の問題は、災害の長期化である。原発事故による放射能汚染や巨大津波によるコミュニティの完全崩壊からの回復には、長い時間が必要である。そして憂慮されるのは、密かに進行する被害の拡大である。
時限爆弾の発火装置は、静かに時を刻んでいく。ところが、メディアはこのような災害を捉えるのが不得意である。すでに述べたアスベストの場合がそうであった。中皮腫は20年、30年もの潜伏期を経て発症する。
ニューヨークタイムズのジェーン・ブロディは、今年の8月21日の健康・科学欄に、画像診断医学に関わる専門家の意見をまとめて紹介している。それによると、CTスキャンによる放射能被爆だけでも、10年から20年後にがんを引き起こす危険があり、それは米国人の発がん全体の1.5%程度におよぶ恐れがあるという。
原発事故による低レベル放射能被爆に関して、多くの日本人が不安を感じている。その不安を宥めるような報道も目立つ。マスメディアは低レベルの放射能被爆が健康におよぼす影響について、きちんとした検証を約束して、その結果を逐次国民に伝えていくべきだろう。3.11当初からの原発報道の混乱ぶりは国民のメディアへの信頼を損なった。今度は、それをぜひ取り戻してもらいたいのである。
東日本大震災が発生した3月11日から7ヶ月が過ぎた。
(この文章は2011年10月に書いたものです)
被災した人々の多くは、いまだ立ち直るきっかけをつかめずにいる。
災害の衝撃があまりにも大きかったことに加え、生活の見通しが立たない人も多い。
我々には、大きな災害や事故を生き延びた人たちをサバイバーとして讃えたり、祝福したりする習慣がない。
災害をなんとか切り抜けた人々の中にも、家族や知人を喪った人々がいる。
しかし、彼らは、絶対的破壊の中から、生死の境を越えて、生き残った人々である。
我々の祖先は、過酷な災害や戦乱を生き延びてきたサバイバーであった。
私たちはサバイバーの子孫である。
自分自身を、サバイバーと認識するか、被災者とらえるかで、その後の人生は変わる。
自己規定の転換が必要である。
自らをあえて幸運なサバイバーととらえ、意識を変化させることによってのみ、これから生き抜くべき災害後の世界が開かれてくる。
家族を失い、持てる資産を失い、健康を損なって生きる望みを喪失しているかもしれない。
だが、ともかくも、あの過酷な災害をなんとかサバイブしたのである。
失ったものによって生じた空隙を埋め、人生を意義のあるものにしなければ帳尻が合わない。
終わり
