安全・安心研究センター 広瀬弘忠のブログ

Category

その他

※この対談は2009年5月に行われたものです

 

【インタヴューアー】 鍼灸の世界ではよく、感情がいろんな病気を引き起こし、感情がいろんな臓腑を傷つけると言います。メンタル面の動きと病気の関係についてお話しいただけますか。

【広瀬】 心理学でも非常に関心のある分野です。例えば、人はストレスフルな状況に置かれたときに胃潰瘍になる。そんなときに心身にはどのような関係があるか。有名な「トムの胃」という例があります。『Time』に掲載されました*。

トムが9歳の時、お父さんが熱いシチューをビールの入れ物に入れて持ってきた。トムは9歳ですがビール好きだったんでしょう、がぶっと飲んだらしい。そうしたら食道がただれてしまって、食道から食べ物が摂取できなくなりました。

医者はトムの胃に穴を開け、おなかにゴムの栓をしました。食事はトムが自分で咀嚼して、食道を介さないで、じょうごのようなものを使って胃の中に直接入れました。それでもトムは70歳くらいまで生きるわけです。

トムの胃の中がどうなっているかを調べたところ、例えばストレス状況になると胃の中が充血するとか潰瘍ができるとか、いろいろ分かってきました。

われわれ心理学者の側からいえば、心理と生理は非常に密接な関係がある。ストレスの高い状況に置かれたら、胃だけではなくて、脳や循環器系も影響を受けてしまう。

【インタヴューアー】 鍼灸では、感情が原因で病気になったときに、鍼治療をしてその病気の元を治していくこともありますが、それ以前に、感情のコントロールが非常に重要な役目をしているように思います。感情のコントロールには患者と医療従事者とのコミュニケーションが大事ではないでしょうか。

【広瀬】 やはり信頼感でしょう。「この人なら自分のことを考えてくれる」と患者が医療者を信頼して、安心感を持てることが重要ですね。

【インタヴューアー】 真の効果がなければ、むやみに期待を持たせるわけにはいかないと思いますが、期待を持たせることがプラシーボ効果を生んでくる。それをコミュニケーションや信頼関係ということで結び付けてくると考えればよいでしょうか。

【広瀬】 そうだと思います。この場合の医療者というのは、プラシーボ効果を生み出すための媒介です。つまり巫女さんのようなもので、神の言葉の伝え手です。ですから、言葉の使い方は重要です。医者もそうですが、言葉の使い方において正確であろうとして、むしろ患者に不安を起こしてしまったり、感情を傷つけてしまうことがありますね。

 伝統医療のメリットは、医療者が持っているオーラのようなもの、信頼や安心を与える力が効果を高めるところでしょう。

【インタヴューアー】 期待が大きくなるとプラシーボ効果も大きくなるという話がありました。期待は治療する側の、オーラのようなものが示していく。そんなとらえ方ですか。

【広瀬】 ええ。患者さんは不安で来るわけですよね。どうしてこうなっちゃったんだろうとか、あるいは痛くてしょうがないとか。そう言って来た患者さんに対して、それを受け入れて、言葉のプラシーボを返す。うそをつく必要はないのです。心の中に入っていくような力。言葉の力ですね。それを持つとさらに力が加わると思います。

【インタヴューアー】 われわれは人間性も磨かなくてはいけないということになりますね。プラシーボ効果を意識して取り組むことが大事でしょうか。

【広瀬】 医療者は、プラシーボを最大限に生かす工夫が必要でしょう。特に東洋医学は心身の総合医療をめざしているわけですから。

【インタヴューアー】 「医者のさじ加減」という言葉がありますが、今の先生のお話につながるのかなと思いました。先ほど「オーラ」とおっしゃいましたが、われわれはコミュニケーション能力を高めないといけない。それが東洋医学の良さを引き出す大きな要素なのでしょうね。医療者によって患者の具合がよくなったり悪くなったりするのは、プラシーボ効果が働いているのかなという気がします。

【広瀬】 技術や技量もあると思います。プラシーボとはそもそもそういうものですが、ばらつき、分散がものすごく大きいのです。もちろん信頼されても技量も良くなければいけません。患者が落ち着くことができ、安心して治療を受けられる状況の中だとプラシーボも良く働きます。逆にぞんざいに扱われると、プラシーボ効果が働かず、結局は、医療自体もあまり効かないことになります。

【インタヴューアー】 パターナリズムはプラシーボ効果を生みますか。

【広瀬】 医療者が「おれに任せとけ」と言い、患者さんのほうもそのような気持になれれば、あるいは効くかもしれません。でも、自分勝手だとか、偉そうなことを言うと患者が思えば効かなくなってしまいます。

【インタヴューアー】 なるほど。やはり信頼関係なんですね。それがプラシーボ効果を生む最大の要因だ、と。

【広瀬】 プラシーボを生み出すための条件はいくつかあります。まずは信頼関係。それから、それ自体が効果を持っているということも重要です。本来鍼が持っている効果がなかったら、より大きなプラシーボ効果は生まれないですよね。砂糖のピルで痛みが抑制されることは確かにありますが、効果は極めて限定されていますから。

続く

※この対談は2009年5月に行われたものです

【インタヴューアー】 プラシーボ効果が真の効果を超えることがありますか。

【広瀬】 あります。かつて胃潰瘍治療の画期的な薬と言われたシメチジンは、治験の場所によっては本物のシメチジンよりもプラシーボのほうが効いていることがありました。どういう医療機関でどういう医者がそれを処方したかによって、本物を与えられた場合よりも効く場合があるわけです。

平均的に効かない薬はいい薬とは言えません。効く人には効き、効かない人には効かない。プラシーボは、多分にそういう面があります。安定しないのです。

本当は、鍼を使うことの中に、プラシーボ効果が入り込んでいるんですね。真の効果とプラシーボ効果の配分は千変万化するわけです。分けるよりも、一体として考える方が良いと思います。あえてプラシーボ効果を分ける必要はないと思うのです。

【インタヴューアー】 研究ベースで物を考えると、どうしても真の効果とプラシーボ効果を分けたくなりますが、実際の臨床の現場では真の効果とプラシーボを併せて使っていくわけですものね。

【広瀬】 これがまた不思議なところですが、薬などの真の効果は、その治療成績の平均値からプラシーボ効果の平均値を引いて出しているんですね。多くの治験薬は、真の効果がゼロに近い、つまりプラシーボ効果と差がないわけです。

そういう薬は、かりにある人にとってはものすごく効いても、認可されないから市場には出回らない。個々のケースではなく、あくまでも平均として扱っているところに、問題があります。

【インタヴューアー】 先生のおっしゃることはよく分かります。n of oneという個々の評価をする方法もありますよね。新しい研究方法としては、個人差を考慮したやり方がピックアップできるのではないでしょうか。

【広瀬】 医療では、特定の人に効けば万人に効く必要はないこともあります。

【インタヴューアー】 ただ、そこで一つ気をつけなければならないのは、それがすべてだと思ってしまうことだと思います。医療を提供する側がモラルをしっかりと持っていないといけない。

【広瀬】 いわゆる西洋医学は、一定の資格を持った人がやれば、ある程度同じような効果が得られる。効果のバラツキが相対的に小さいわけです。しかし東洋医学は、医療者のパーソナリティーや手練とかコミュニケーション力が含まれた、一種の総合医療です。だから平均を取ると損ですよね。伝統的な治験のやり方で結果が出ないのは、損な部分で勝負しているからではないでしょうか。

【インタヴューアー】 今までのやり方ですと、プラシーボを引いて判断しなければいけませんでしたが、今はプラシーボも含めて効果判定をしていくような考え方が出てきているのでしょうか。

【広瀬】 西洋医学的なアプローチでは、両者は別物という考えが依然として強いですよね。プラシーボ効果は真の効果にプラスするプラスアルファだという考え方は、どうしてもありますね。厄介なことに、プラシーボ効果そのものが治験薬の評判とか薬効の程度に応じて変動するわけです。ことはそう簡単にいかない。

 

 

効く薬ほど期待が大きく、プラシーボ効果は大きくなる。鍼に関しても、いろんな研究があります。NIHがやった研究ではプラシーボ効果と真の効果に差がない。差があるのは医療者と患者との関係だとも言っています。非常に多岐にわたる要素が微妙に絡んでいます。

【インタヴューアー】 真の効果、もしくはプラシーボ効果を明確にしていくためには、今後どんな方法論を取って研究すればよいでしょうか。

【広瀬】 薬の治験でも、プラシーボを使った治験でないと主なジャーナルに載せないとか、どうしてもプラシーボを使わざるを得ない状況があると思います。プラシーボ効果が働いていることは間違いなく、その場合、統計的に有意差があるかないかは微妙な問題で、たくさん数をやれば統計的に厳密な結果が出てきますが、鍼治療の場合などはたいてい少人数で何回かやる。そうすると、その場の状況など、いろんなバイアスが入ってきてしまう。

 アメリカでは、東洋医学のなかで鍼を重視していると思います。鍼の治験は、NIHがやっている以上にもっと大規模に、いろんな症状や被験者の組み合わせなどを使って、客観的にやらざるを得ないと思います。

【インタヴューアー】 例えばベストケースをたくさん集めて効果を見ていくのも1つの方法論として成り立ちますか。

【広瀬】 今や「Evidence Based Medicine」ですから、NIHなどを説得するためには、個々の症例を集めてきても効果はありません。統計的に有無を言わせない形のプロトコールを作らなければ駄目です。

【インタヴューアー】 検証方法はRCT、ダブルブラインドがベストでしょうか。

【広瀬】 今のところはそうだと思います。プラシーボ効果は、例えば医療者と患者との間の関係や場の雰囲気などの影響を受けます。医療者も患者も知らないというダブルブラインドで治験をやらないと、説得力がありません。

続く

【インタビューアー】 鍼灸の世界ではよく、感情がいろんな病気を引き起こし、感情がいろんな臓腑を傷つけると言います。メンタル面の動きと病気の関係についてお話しいただけますか。

【広瀬】 心理学でも非常に関心のある分野です。例えば、人はストレスフルな状況に置かれたときに胃潰瘍になる。そんなときに心身にはどのような関係があるか。

有名な「トムの胃」という例があります。『Time』に掲載されました*。トムが9歳の時、お父さんが熱いシチューをビールの入れ物に入れて持ってきた。

トムは9歳ですがビール好きだったんでしょう、がぶっと飲んだらしい。そうしたら食道がただれてしまって、食道から食べ物が摂取できなくなりました。

医者はトムの胃に穴を開け、おなかにゴムの栓をしました。食事はトムが自分で咀嚼して、食道を介さないで、じょうごのようなものを使って胃の中に直接入れました。

それでもトムは70歳くらいまで生きるわけです。トムの胃の中がどうなっているかを調べたところ、例えばストレス状況になると胃の中が充血するとか潰瘍ができるとか、いろいろ分かってきました。

 われわれ心理学者の側からいえば、心理と生理は非常に密接な関係がある。ストレスの高い状況に置かれたら、胃だけではなくて、脳や循環器系も影響を受けてしまう。

【インタビューアー】 鍼灸では、感情が原因で病気になったときに、鍼治療をしてその病気の元を治していくこともありますが、それ以前に、感情のコントロールが非常に重要な役目をしているように思います。

感情のコントロールには患者と医療従事者とのコミュニケーションが大事ではないでしょうか。

【広瀬】 やはり信頼感でしょう。「この人なら自分のことを考えてくれる」と患者が医療者を信頼して、安心感を持てることが重要ですね。

【インタビューアー】 真の効果がなければ、むやみに期待を持たせるわけにはいかないと思いますが、期待を持たせることがプラシーボ効果を生んでくる。

それをコミュニケーションや信頼関係ということで結び付けてくると考えればよいでしょうか。

【広瀬】 そうだと思います。この場合の医療者というのは、プラシーボ効果を生み出すための媒介です。つまり巫女さんのようなもので、神の言葉の伝え手です。

ですから、言葉の使い方は重要です。医者もそうですが、言葉の使い方において正確であろうとして、むしろ患者に不安を起こしてしまったり、感情を傷つけてしまうことがありますね。

 伝統医療のメリットは、医療者が持っているオーラのようなもの、信頼や安心を与える力が効果を高めるところでしょう。

※この対談は2009年5月に行われたものです

【インタビューアー】 プラシーボ効果が真の効果を超えることがありますか。

【広瀬】 あります。かつて胃潰瘍治療の画期的な薬と言われたシメチジンは、治験の場所によっては本物のシメチジンよりもプラシーボのほうが効いていることがありました。

どういう医療機関でどういう医者がそれを処方したかによって、本物を与えられた場合よりも効く場合があるわけです。

平均的に効かない薬はいい薬とは言えません。効く人には効き、効かない人には効かない。プラシーボは、多分にそういう面があります。安定しないのです。

本当は、鍼を使うことの中に、プラシーボ効果が入り込んでいるんですね。

真の効果とプラシーボ効果の配分は千変万化するわけです。分けるよりも、一体として考える方が良いと思います。あえてプラシーボ効果を分ける必要はないと思うのです。

【インタビューアー】 研究ベースで物を考えると、どうしても真の効果とプラシーボ効果を分けたくなりますが、実際の臨床の現場では真の効果とプラシーボを併せて使っていくわけですものね。

【広瀬】 これがまた不思議なところですが、薬などの真の効果は、その治療成績の平均値からプラシーボ効果の平均値を引いて出しているんですね。

多くの治験薬は、真の効果がゼロに近い、つまりプラシーボ効果と差がないわけです。

そういう薬は、かりにある人にとってはものすごく効いても、認可されないから市場には出回らない。

個々のケースではなく、あくまでも平均として扱っているところに、問題があります。

【インタビューアー】 先生のおっしゃることはよく分かります。n of oneという個々の評価をする方法もありますよね。

新しい研究方法としては、個人差を考慮したやり方がピックアップできるのではないでしょうか。

【広瀬】 医療では、特定の人に効けば万人に効く必要はないこともあります。

【インタビューアー】 ただ、そこで一つ気をつけなければならないのは、それがすべてだと思ってしまうことだと思います。医療を提供する側がモラルをしっかりと持っていないといけない。

【広瀬】 いわゆる西洋医学は、一定の資格を持った人がやれば、ある程度同じような効果が得られる。効果のバラツキが相対的に小さいわけです。

しかし東洋医学は、医療者のパーソナリティーや手練とかコミュニケーション力が含まれた、一種の総合医療です。だから平均を取ると損ですよね。

伝統的な治験のやり方で結果が出ないのは、損な部分で勝負しているからではないでしょうか。

【インタビューアー】 今までのやり方ですと、プラシーボを引いて判断しなければいけませんでしたが、今はプラシーボも含めて効果判定をしていくような考え方が出てきているのでしょうか。

【広瀬】 西洋医学的なアプローチでは、両者は別物という考えが依然として強いですよね。

プラシーボ効果は真の効果にプラスするプラスアルファだという考え方は、どうしてもありますね。

厄介なことに、プラシーボ効果そのものが治験薬の評判とか薬効の程度に応じて変動するわけです。ことはそう簡単にいかない。

効く薬ほど期待が大きく、プラシーボ効果は大きくなる。鍼に関しても、いろんな研究があります。NIHがやった研究ではプラシーボ効果と真の効果に差がない。

差があるのは医療者と患者との関係だとも言っています。非常に多岐にわたる要素が微妙に絡んでいます。

 

 

【インタビューアー】 真の効果、もしくはプラシーボ効果を明確にしていくためには、今後どんな方法論を取って研究すればよいでしょうか。

【広瀬】 薬の治験でも、プラシーボを使った治験でないと主なジャーナルに載せないとか、どうしてもプラシーボを使わざるを得ない状況があると思います。

プラシーボ効果が働いていることは間違いなく、その場合、統計的に有意差があるかないかは微妙な問題で、たくさん数をやれば統計的に厳密な結果が出てきますが、鍼治療の場合などはたいてい少人数で何回かやる。

そうすると、その場の状況など、いろんなバイアスが入ってきてしまう。

 アメリカでは、東洋医学のなかで鍼を重視していると思います。鍼の治験は、NIHがやっている以上にもっと大規模に、いろんな症状や被験者の組み合わせなどを使って、客観的にやらざるを得ないと思います。

【インタビューアー】 例えばベストケースをたくさん集めて効果を見ていくのも1つの方法論として成り立ちますか。

【広瀬】 今や「Evidence Based Medicine」ですから、NIHなどを説得するためには、個々の症例を集めてきても効果はありません。統計的に有無を言わせない形のプロトコールを作らなければ駄目です。

【インタビューアー】 検証方法はRCT、ダブルブラインドがベストでしょうか。

【広瀬】 今のところはそうだと思います。プラシーボ効果は、例えば医療者と患者との間の関係や場の雰囲気などの影響を受けます。医療者も患者も知らないというダブルブラインドで治験をやらないと、説得力がありません。

※この対談は2009年5月に行われたものです

【インタビューアー】 病気の種類によってプラシーボ効果の影響は違いますか。

【広瀬】 一般的にプラシーボ効果は、感染症やがんなどの重篤な病気にはあまり効果がないと言われています。問題は、痛みや不定愁訴のようなものに対してです。

私は以前、ぎっくり腰になりまして、鍼が1回目の治療で劇的に効き、2回目で治りました。

鍼治療にはいろんな実験結果がありますね。例えば肺がんや乳がんの末期で呼吸困難の患者に対して、鍼を使うことによって呼吸が楽になるかどうか。

治験では、本物の鍼を使った場合と、皮膚を貫通しない偽の鍼を使った場合では有意差はありませんでした。

ここでは偽の鍼を比較対照用のプラシーボとして、治療効果のないはずの処置としているわけです。

治験は「プラシーボと統計的な有意差がないので効果なし」という結論でした。

しかし治験の意図とは別に、ここでわかったのは、プラシーボとしての偽

の鍼にも効果があるということなのです。

何が効いているのか。『Nature』日本版の記事には「鍼治療は脳の活動を活性化する」とあります*2。

イギリスの大学で補完医療の専門家が、本物の鍼群・プラシーボの鍼群・先端がフラットな鍼群の3種類で実験をやりました。

先端がフラットな鍼は、皮膚に触っているだけで、初めから「やっても効果がありませんよ」と知らされています。プラシーボは「鍼のように見える偽物を使った場合」です。

 実験の結果、先端がフラットな鍼の場合には、脳内の痛み抑制物質であるオピエードは分泌されないけれども、本物の鍼とプラシーボの鍼は、オピエードが分泌されることが分かりました。

本物の鍼群とプラシーボ群は何が違うか。この実験ではPET*3を使って見ています。

本物の鍼治療を行うと、大脳皮質の一部である「島」の領域の活動が活発になりました。

これが何を意味しているかは、現在のところ分からないのですが、現実問題として、何かの効果を持っている可能性があるという結論です。

今のところはそこまでしか分かっていませんね。

【インタビューアー】 鍼鎮痛は、簡単な手術に耐えられるような鎮痛を起こすということで、一連の研究がされていました。

視床下部あたりのところまでインパルスが到達し、下降性の抑制系を活性化させる。

その介在する部分でエンドルフィンがあるのではないかと言われています。そこまで行かなくても、何かの刺激で脳内のオピエードを分泌してくると考えられるわけですよね。

【広瀬】 そうだと思います。

【インタビューアー】 先生のご本の中にも、鍼の研究でプラシーボとして使うものは皮膚を切ってはいけないと書かれています。

ところが、外国の文献では、ほとんど浅く刺したものを比較対照群として使っています。

では真の鍼とは何か。いわゆる「響き」といいまして、鍼を入れたときに独特の、重たいような、引っ張られるような感覚があるもののことを示します。

【広瀬】 NIH(米国立衛生研究所)の研究は皮膚を切っていません。偽物のナイフみたいなもので、皮膚には触っているけれど、トントンと刺入すると鍼はへこみます。

【インタビューアー】 よくご存じですね。触圧刺激は出るけれども、いわゆる侵害刺激にはなっていないという違いだろうと思います。

日本は本当に浅く刺しても効果を出す鍼治療があるので、外国でやっているような、真の効果とプラシーボ効果の両者で比べるのは、ちょっと問題があるのではないかとわれわれは提言しています。

ただ、NIHは、鍼はあまりはっきりした効果が出ないよ、科学的な検証はもっとやらないと駄目ですよと言っているので、われわれは科学的な検証を進めています。

【広瀬】 鍼の効果があるのは、みんな知っていると思います。けれど、本物とプラシーボとの間に統計的に有意な差がないので、「効果がない」と言っているだけかと思います。

【インタビューアー】 それは私たちにとって温かい示唆ですね。

【広瀬】 例えば、パーキンソン病患者に偽の手術(頭蓋に孔をあけ修復するが、治療行為は行わない)をすると、ドーパミンが分泌されるようになることがあります。

なぜドーパミンが分泌されるのかは将来的に解明されていくでしょう。本物とプラシーボの違いも、今後明らかになっていくと思います。

【インタビューアー】 本物と、プラシーボは違うものだと考えておいたほうがいいでしょうか。

【広瀬】 難しいところですね。確かに違うものだと思います。しかし、偽物と言ってはいけないと思います。本当に痛みを止める効果を持っているわけですから。

プラシーボを通してわれわれの心身の持っている複雑性が触発されて動く、プラシーボは期待や願望の乗り物と考えたほうがいいと思います。

※この対談は2009年5月に行われたものです

【インタビューアー】「プラシーボ」と「プラシーボ効果」は厳密に分けて使ったほうがいいでしょうか。

【広瀬】 分けたほうがいいと思います。

プラシーボは、ラテン語の「プラツェーボ」が語源で、「人を喜ばせる」という意味です。

近代医学が生まれてくるまでは、「人を喜ばせる」ことの中に、病気のいろんな症状で苦しんでいる人のための多くの医療がありました。

症状を訴えてきた患者に対して救いの手を差し伸べる。

19世紀の後半とか20世紀の初めまで、アメリカなどでは医者が「これを飲めば元気になるよ」と患者に砂糖のピルを渡すようなことをやっていました。

それで結構治っちゃう。「ホッとして、これで治るんだ」と思うことの効果が伝統医療の中に脈々と生きていたのでしょう。

 プラシーボそのものは砂糖でも、草木の灰のようなものでも何でもいい。プラシーボは、受ける側が強い期待を持てるものならばよいのです。

【インタビューアー】 つまり、プラシーボとは希望や期待なのでしょうか。

【広瀬】 期待や希望を寄せる対象です。砂糖のピルに対して期待をかけて、「これで何とかなる」と思い込む、信じる。

そうすると、そこにプラシーボ効果が発生します。

【インタビューアー】 期待をすることで体もしくは心にも影響を及ぼすのがプラシーボ効果ということですね。

【広瀬】 はい。期待を処理する脳内の回路が働き、良い心身の相互作用が生じます。希望を持ったり楽観的な態度をとることによって緊張がほぐれて、自分が本来ありたいと思う方向にだんだん近づいていく。

「プラシーボ」は外側にあるものであって、「プラシーボ効果」は内側に生まれてくるものです。

【インタビューアー】 難しい部分ですね。例えば病気で具合が悪いときに、治りたいという一念が高じてくると、それがプラシーボとして働いて、それによって体が変わってきてプラシーボ効果が出てくる。そんなとらえ方でしょうか。

【広瀬】 少し違います。治りたいという気持ちは自分の中からわき出てくるものです。

治りたい気持ちを満たす外在的な何かが必要で、「これで大丈夫」と確信できないと駄目です。

【インタビューアー】 やはり気持ちだけでは無理で、何か対象がないといけないのですね。

【広瀬】 宗教を持っている人のストレスの程度が低かったり、長生きだったり健康だったりとよくいわれますね。

神あるいは仏といった外在的な「何物か」が自分のことを守ってくれている。

これを信じれば健康になると確信している。

また、「チャーチ・ゴーアー」といって足繁く教会にかよう人は、そのことが適度な運動になり、ボランティア活動や仲間同士の支え合いがあって社会活動が活発になるから、それもまた健康にいいわけです。

自分の病気の快癒をみんなが祈祷してくれることも影響があるといわれています。

これに関しては面白い話があります。

アメリカでNIH(米国立衛生研究所)が多額の費用を投じてその効果を実験しました*1。

病気の本人は祈られていることをまったく知らされない状態で、いろんな宗派の宗教家たちに名前とその人のごく簡単な情報を伝えて祈ってもらう。

祈ってもらった人とそうでない人とで、病気の状況がどう変化するかを比べました。結論は「有意差なし」です。

自分のことを祈ってくれているとか、自分のことを呪詛して殺そうとしているとかの場合でも、本人が知らない限り、あまり影響はないようです。

【インタビューアー】 逆に、マイナスに思いつめてしまうと病気になったり、治らないと思えば治らないこともあり得るでしょうか。

【広瀬】 あると思います。先ほど申しましたように、プラシーボは本来「プラツェーボ(人を喜ばせる)」という意味ですが、同時に「プラス」という意味もあります。

それに対して「ノーシーボ」はマイナスの影響を及ぼすものです。

例えば、ブードゥー教のまじない師に「お前は死ぬ」とか「お前はもう長いことないんだ」と宣言され、まじないをかけられると本当に死ぬ。

キャノンという有名な生理学者が、何人かの医者の目撃談を聞いてまとめています。

それによると、非常に緊張した状況の中で一種の心臓発作を起こすのです。

ノーシーボは、自分に対して災いをもたらすものがあることを現実に知るときに起こります。

丑三つ時、人形にくぎを打ち込むような呪詛は、勝手に行われているのであれば影響はないですが、自分に見立てた人形に誰かが五寸くぎを打ち込んでいることを何らかの形で知ったとき、ノーシーボ効果が起こります。

続く

※この対談は2009年5月に行われたものです

【インタビューアー】 広瀬先生は、2001年に『心の潜在力 プラシーボ効果』(朝日選書)を上梓されました。

先生は災害心理学がご専門ですが、プラシーボと何か関係があるのでしょうか。

【広瀬】 心理学の分野でプラシーボの問題は1950年代から取り上げられていましたが、かなりベールに包まれていました。

たとえば何かの課題を与えて成績を競わせるような場合、

「これは集中力が高まる薬だ」

と偽って砂糖の錠剤を飲まされた群と飲まなかった群を比べると、明らかに飲んだほうが成績が良い。

なぜこうなるのかと疑問に思っていました。

 その後、私は災害心理学にかかわるようになり、しばらくプラシーボの問題から離れていました。

ただ、1950年代の半ばごろから医学の領域、特に麻酔の領域でプラシーボの研究が盛んに行われてきたと後で知りました。

心理学の領域だけではなく、医学あるいは医療の中でプラシーボがどう扱われているのかを見てみようと、資料を集めて研究を始めたんです。

ある程度の研究の蓄積が出てきたのが80年代後半から90年代です。

 

 

私は1976年ごろから地震や噴火などの災害現場を調査し、1995年の阪神大震災では大きな調査を何回もやりました。

何度も神戸に足を運び、震災後3カ月ほど経ったとき、避難所に泊まったことがあるんです。

小学校の体育館でしたが、一晩中煌々と蛍光灯がついていますし、風邪が流行っていて、みんな咳をしている。

1人分の居住スペースは1畳もありません。とても寝られる状況ではない。

けれども朝になると目覚まし時計が鳴って、サラリーマンは背広を着てネクタイを締めて出勤していく。

たまたま私の隣にいた人が開業鍼灸師で、「もう一度治療院をつくるために、今金策をしている」とおっしゃっていました。災害の瓦礫の中で、もう再建計画を立てている。

こういう人は災害状況から立ち直って日常生活に回帰していくわけです。

回帰していく人の要件として、資産があったり、親類縁者がサポートしてくれるということがあると思います。

同時に、メンタルな部分では、立ち直ってまた始めたいという意欲も大きな役割を果たしている。

だが、そうかと思うと、若くても仕事がない、仕事を捜すのもおっくうだといって一日中避難所の中でぼんやりしている人もいる。

同じ被災者でもこういう差があることに気づき、希望や期待といったものがいろんなことの達成に大いに影響すると感じました。

プラシーボ効果が関係していると思ったわけです。

続く

2つのビルとも避難途中でのパニックはなかったといわれている。

攻撃されてから崩壊するまでの時間がより長かったWTC1の避難カーブはより緩やかであり、逃げ切れなかった人の割合も大きい。

これに対してWTC2では、このビルが攻撃される前に、すでに40%の人々が避難を完了しているのである。

 自分たちに何が起こりつつあるのか、あるいは何が起こったのか、という危険を具体的に知覚することが、人々の避難行動をスムーズに行ううえで、きわめて需要であることがわかるだろう。

人類史上のほとんどの時期、大多数の人間は、若くして疲弊し果てる悲惨な状態にあった。

状況が根本的に変ったのは、ほんの最近200~300年間のことだ。

先進諸国では、富の配分の相対的な平準化と、衛生と医療レベルの向上により、われわれはより確かな安全を手にし、神への信仰なしに、安心を得られるようになった。

相対的に危険が少なくなり、その結果として不安をバネにして細心の努力の投入を要する安全の追求よりも、むしろ安心を重視するようになった。

このときから、われわれはあえて危険を見まいとして動かなくなったのではないか。

正常性バイアスがより強く働くようになり、想定外の想定をしようと努力することもなくなったのである。

そこで、必要なのは危険を意識し続けることで、想定外を想定するという努力を怠りなく持続することなのである。

複合災害の時代に生きるには、随所に潜む災害因を複眼をもって捉える能力が必要である。

終わり

イマジネーションの問題

 われわれはイメージできないものには、対応できない。

巨大津波にしても原子力発電所の過酷事故に対しても同様である。

想定外というのは、それをイメージできなかったか、あるいはイメージする習慣がなかったかのいずれかである。

このような危害事象に直面したときに、われわれは他人を押しのけても自分の身を守るといった過剰な防衛反応や、アメリカの社会学者であるニール・スメルサーが言うところの、「ヒステリックな信念にもとづいた集合的な逃走行動」としてのパニックが起こるわけではない。

むしろこのような時には、心身ともに凍りついたように硬直した不動の状態におちいるのである。

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロでは、ハイジャックされた大型旅客機が、あたかもミサイルのように攻撃に利用された。

ニューヨークのツインのランドマークタワーであった110階建ての世界貿易センタービルのWTC1(ノースタワー)には、午前8時46分にアメリカン航空のボーイング767が突入し、その17分後には、ツインタワーのもう一方であるWTC2(サウスタワー)にユナイテッド航空の同型機が突入して、両方のビルをともに崩壊させて瓦礫の山と化したのである。

 米国基準・科学技術協会(NIST)は、生存者へのインタヴュー調査などを通して、2つのビルでどのような避難行動が行われたのかを明らかにしている。

この表は、先に攻撃を受けたWTC1の低層階(地階-42階)、中層階(43階-76階)、高層階(77階-91階)にいた生存者が避難行動を開始するまでの要した、損失時間を示している。

平均損失時間に関して差の検定を行うと、高層階と中層階、高層階と低層階の間には有意差があるが、中層階と低層階の間には有意差がない。

つまり、高層階の人々は、避難を開始するまでにより長い時間を要していたことになる。

高層階の人々は頭上により大きな衝撃を受けて、大型旅客機ミサイルの攻撃を受けたことを理解できず、ショックのために心身ともに凍りついてしまったのである。

ちなみに、92階以上の人はほとんど助かっていない。

 このことは上の表2のWTC2の生存者の行動と比較すると、よりはっきりする。

平均の損失時間を比較すると、高層階にいた人々は中、低層階にいた人々よりも統計的に有意に短いのである。

そして、中、低層階の間には有意差は見られなかった。WTC2では、高層階の人々ほど素早く避難しているのだ。

 この違いは、WTC2の人々は、自分たちの目の前でWTC1に旅客機が突入するのを見ていて、自分たちに迫っている危険をイメージできたことによって生じている。

 

このことは上の図を見ると、より鮮明に理解することができる。

横軸は、WTC1が攻撃を受けた後の時間的経過を示し、縦軸は、ビル内にいた人々の残留率を示している。

続く

一方、上の図は「最も信頼できない情報源」を示している。

政府・省庁は、震災前も信頼できない情報源のトップに位置していたが、震災後は59.2%と、圧倒的に多くの人々が政府や省庁からの情報を最も信頼できないとしている。

これは理由のないことではあるまい。

嘘をつかないまでも、情報を隠していると、多くの人々が疑っていたのだ。

SPEEDIの情報をはじめとして、東京電力福島第1原子力発電所のなかで実際に起っていることや、モニタリングの結果について明確に述べることを避けてきたために、このように国民から信頼されないというツケを払わされたのである。

人が動かない理由-正常性バイアス

 われわれは、危険に直面しても、それを感知する能力が劣っている。

その理由は、予期しない異常や危険に対して鈍感になるように、われわれの行動スクリプトが作られているからである。

日常の些細な変化に過度に反応しないように、閾値が組み込まれているのだ。

その閾値は、社会環境の安全度に見合うかたちで上昇したり下降したりするのである。

われわれの精神は、このような“遊び“をもつことで、心的エネルギーのロスと過度の緊張のリスク避けている。

ある範囲内までの異常を異常と感じさせず、正常の範囲内のこととして扱う「遊びのメカニズム」を、正常性バイアスという。

一般的には、文明や文化の進展とともに環境からの安全性が保障されるようになればなるほど、正常性バイアスはより強く働くようになる。

そのために、身にせまる危険を危険としてとらえることを妨げられて、危険を回避するタイミングが奪われてしまうのである。

 東日本大震災では、津波によって多くの人命が失われたが、すでに述べたように、地震の後に津波が来襲するまでには、多くの被災地で1時間以上もの時間の余裕があったはずなのである。

それにもかかわらず、多くの人々は、避難行動を起こさなかったのである。

ところによっては、高さ10メートルの万里の長城のような防潮堤が、自分たちの安全を守ってくれるという虚構の安心感があったのかもしれない。

しかし、これらの地域は、明治三陸津波、昭和三陸津波、チリ津波などで多くの犠牲者を出し、いわゆる津波文化があるといわれていた地域である。

2004年のインド洋大津波のときにもインドネシア・タイなどの被災地では同様な光景が見られた。

人々は正常性バイアスの影響で、逃げるべき時を失ってしまうのである。

続く