2つのビルとも避難途中でのパニックはなかったといわれている。
攻撃されてから崩壊するまでの時間がより長かったWTC1の避難カーブはより緩やかであり、逃げ切れなかった人の割合も大きい。
これに対してWTC2では、このビルが攻撃される前に、すでに40%の人々が避難を完了しているのである。
自分たちに何が起こりつつあるのか、あるいは何が起こったのか、という危険を具体的に知覚することが、人々の避難行動をスムーズに行ううえで、きわめて需要であることがわかるだろう。
人類史上のほとんどの時期、大多数の人間は、若くして疲弊し果てる悲惨な状態にあった。
状況が根本的に変ったのは、ほんの最近200~300年間のことだ。
先進諸国では、富の配分の相対的な平準化と、衛生と医療レベルの向上により、われわれはより確かな安全を手にし、神への信仰なしに、安心を得られるようになった。
相対的に危険が少なくなり、その結果として不安をバネにして細心の努力の投入を要する安全の追求よりも、むしろ安心を重視するようになった。
このときから、われわれはあえて危険を見まいとして動かなくなったのではないか。
正常性バイアスがより強く働くようになり、想定外の想定をしようと努力することもなくなったのである。
そこで、必要なのは危険を意識し続けることで、想定外を想定するという努力を怠りなく持続することなのである。
複合災害の時代に生きるには、随所に潜む災害因を複眼をもって捉える能力が必要である。
終わり