安全・安心研究センター 広瀬弘忠のブログ

Archive

6月 2012

原子力発電所は、電動式の猛毒物質大量貯蔵庫である。

この毒物のかたまりを守っているのは、皮肉なことに、それ自らが生み出しているのと同じ電気である。

電気が切断されると、原子力発電所は時限爆弾と化すのである。

全電源喪失のような事態を引き起こすのは、津波や地震だけではない。

テロでも戦争でも大火災でも大洪水でも起きるだろう。

複合災害の最終かつ最大の災害因が、原子力事故や感染症の大流行であるパンデミックのようなものであるとするなら、どのようなドミノの組み合わせが、この最終ドミノを倒すことになるのか、十分に検討する必要がある。

想定外を想定せよ

われわれの生活が電気に頼りすぎていることが問題なのかもしれない。

日常生活から医療、通信、交通にいたるまで、すべてに電気が使われている。

しかも電気があるのが当然だという生活をしているのだ。

あたかも、水や空気があるのは当然であるかのように。

だが、それらはいずれも、あるのが当たり前と言えるほどに確たるものではない。

たとえば、3月11日のあとの医療の現場の混乱ぶりについて、NTT東日本関東病院の病院長である落合滋之さんは次のように書いている。

「仮に計画停電となったら・・・。全てが電子カルテ化されている当院は、今更、紙カルテや紙の伝票による運用に対応できるのだろうか。システムダウンを想定してそのための訓練も行ってきたはずではあるが、システムが安定して既に久しいだけに、紙カルテや伝票の所在すら記憶が朧になりかけてはいないだろうか。CTやMRIのような医療機器は、電流・電圧の急激な変化に弱いと聞いている。いざ計画停電が発令されたら、直ちに対応するべく、短時間の内に、そのスイッチを正しく切ったり入れたりすることができるのだろうか。水道の蛇口や病院のドアも自動になっているが、停電時、これらはどうなるのだろう。非常電源が立ち上がることで、これら全てが何事もなかったように機能するのだろうか。」

この病院は、今年の3月に、国際的病院機能評価機関であるJCI(Joint Commission International)の認承評価をパスしている。

日本では2例目としてJCIの認承評価を受けた優れた病院である。

審査の最終段階の講評が、偶然にも東日本大震災のあった3月11日の午後にあったというのだ。

アメリカからやってきた3人の審査員は、大旨、次のように述べたという。

成績は良好だが、問題もある。

そのひとつは、想定外を想定していないことだ。

それは東京全体が大災害に見舞われ、重油や水が1週間にわたって利用できないとか、東京中が大停電になるというような事態だという。

Think about unthinkable things というのが、彼らの指摘だったという。

これは日本のリスク管理の最も弱いところをついた言葉でもある。

審査員が去った十数分後に、あの巨大地震が襲ってきた。

続く

災害因と災害との駆け引き

まず最大の災害因への対処が優先されるべきである。

東日本大震災の場合、それは原子力災害であった。

われわれが震災後3か月の、今年の6月半ばに行った全国世論調査(全国から日本全体の縮図となるように200地点を選び出し、各地点から15歳-79歳までの男女を住宅地図にもとづいて無作為に抽出。合計1200人に面接留置法でアンケート調査を実施した。)では、「東日本大震災の地震、津波、原子力災害のうち、最も深刻な被害を与えたのは何ですか」という質問を行った。

結果は、原子力災害という回答者が55.4%、津波が24.0%、地震が19.1%であった。ここから、われわれ日本人が、東日本大震災を、地震災害でも津波災害でもなく、原子力災害であると認識していることがはっきりと見てとれる。

もし、このような災害認識が妥当であるとするならば、東日本大震災の教訓を受けて、われわれが第1に注力すべきは地震対策ではなく、原子力発電所の安全対策であり、次に津波対策である。

それらの災害対策は独立のものと考えるべきだ。

われわれは、地震のマグニチュードだけに心を奪われすぎていないだろうか。

特に、海溝型の巨大地震においては、津波の被害が地震のそれを大きく上回ることが十分に予想されるだけでなく、日本の原子力発電所はすべてが海水を冷却水として用いるため海岸沿いに立地していることを考慮すると、この種の巨大地震では、原子力発電所の安全対策が第1で、次が、津波対策、最後が地震対策の順であることがわかる。

続く

福島第1原子力発電所の事故は、欧米を中心に、国際的な脱原発ムードを高めた。

 

他方、国内的には、広範囲にわたる放射能汚染による健康障害と、福島県を中心とする東北3県からの人口流出、経済基盤の弱化、放射性物質による汚染地域としてのイメージの悪化など、日本の社会、経済、文化への重大な影響をもたらしている。

 

日本のような人口稠密で工業化の著しい先進国では、国内で発生する災害因の規模と、それに起因する災害の大きさとは、きわめて高い相関を持っている。

 

世界の中で、下り坂を降りるようにその存在感を希薄化させつつあった日本という国は、この災害によってさらに下降速度を速めるだろう。

 

一般に、大災害は社会変化を加速し、通常は一世代かかって起こるような変化を、数年のうちに達成させてしまう。

 

続く

だが、その後は、地震、津波、原子力事故に起因し関連する幾多の災害因が派生し、東北地方を中心に、さまざまな関連災害を水紋状に日本全国に拡散させていった。

特に、福島第1原子力発電所の事故は、そのなかの最大の事象であった。

災害の終息までに数十年を要し、その影響は短期的には、電力不足によるサプライチェーンの切断に起因する工業製品、食品産業などの生産力の低下と、放射性物質による汚染で、農林漁業のこうむった損失は大きい。

 

原子力発電に依存しすぎたツケは、エネルギー需給の悪化を招き、わが国の経済的地盤沈下をもたらした。

さらにこの大事故は、安全を標榜して原子力の利用の推進を国是としてきた日本政府への不信をまねいた。

これらはもっぱら政治・経済的被害だが、日本人の安全意識にも大きな影響をおよぼした。

身近なところに思わぬ危険が潜んでいるという危機感である。

災害因の複合化が、災害そのものの複合化をもたらす。

災害因のもたらす衝撃に耐えられない人間の営みがあって、その営みの絡みがいくつかの箇所で切断されるときに、災害が発生する。

われわれが意識せずに、ごくあたりまえとしてきた安全が、単なる「神話」であることが判明したのだ。

われわれはリスクに敏感になり無力感にとらわれると同時に、自分の安全は自分で守る以外には、誰も守ってはくれないという自前意識を強く持つようになった。

 

続く

現代は複合災害の時代である。ひとつの災害がドミノ倒しのように次々と新たな災害を引き起こす。

しかも、この災害連鎖は線状に並ぶだけではなく、多くの場合、2次元の面としての広がりをもって伝播して社会の脆弱性をあぶり出していく。

そして、あとに続く災害ほど被害規模が大きくなることもあるのだ。東日本大震災のように。

2011年6月被災地にて現地調査

 

複合災害の時代

 2011年3月11日の東日本大震災は、典型的な複合災害である。

まず、東北地方沖の太平洋の海底でM9.0の巨大地震が発生した。

第1のドミノが倒れた。

この地震は、多くの建物を倒壊させ、死者、行方不明者を出した。

次いで、この地震を原因とする巨大津波が、東北地方の太平洋沿岸を中心とする地域を襲った。

第2のドミノが倒れたのだ。

この津波は、地震をはるかに超える壊滅的被害をもたらした。死者・行方不明者、約2万人の9割以上は、この津波による犠牲者である。

そして、この津波がうしろから押し、杜撰な原子力発電所の安全管理が前から引き倒すかたちで、レベル7の原子力事故という最大のドミノが倒れた。

ドミノ倒しはこれで終わったわけではないが、ここまで3つの災害因の生起は、直線的な災害因の連鎖と言って良かろう。