安全・安心研究センター 広瀬弘忠のブログ

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5月 2012

福島へのインパクト

 

福島県は、北海道、岩手県に次ぐ日本で3番目に面積の大きな県である。人口は全国で18位(2010年データ)、65歳以上の老齢人口は、全体のほぼ4分の1である。東日本大震災以前から過疎化と高齢化が進んでいた。県の人口は200万人を少し超える程度で、漸減傾向にあった。だが、2012年1月1日現在の推計では、県の人口は、200万人を割り込んでいる。

幼い子供をかかえる若い世代を中心に県外への移動に歯止めがかからない。国の復興対策本部が把握しているだけでも、すでに5万8000人が県外に出たという(2011年11月10日朝日新聞)。実際には、この数値をかなり上まわる人々が県外に流出したと考えられる。また文部科学省が2012年2月6日に発表した学校基本調査によれば、福島県の小学生の数は前年度比で7.9%減であるという。全国の小学生についてみると、少子化による影響で前年度比1.5%減であるので、福島の小学生の減少幅はきわめて大きいと言わざるを得ない。おそらくこの減少傾向は、将来にわたって継続していくものと考えられる。

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原発災害の難しさ

 

 放射性物質の流れをシミュレートしたスピーディの結果が示すように、環境中の放射線量は、地形や放射性物質の放出時の風向き、降雨・降雪などの条件により大きな影響を受ける。60キロも離れた福島市や郡山市の方が、20キロの警戒区域内の川内村の一部よりも線量が高かったりする。

 3月15日には、主として2号機より放出された放射性汚染物質のプルームが北西方向に流れて、折からの雨で、飯舘村は高濃度の放射能汚染を受けることになった。避難指示が出された地域の多くの人々は、阿武隈山地越えの限られた避難路のなかから、メインのルートである飯舘の方向に逃げて、大量の放射線被曝をする破目になったのである。飯舘やその北西隣にある川俣町では未だに線量が高い。

 飯舘村ではほとんどの住民が避難していた。村役場の機能は、福島市飯野町に移転している。庁舎には留守番の職員しかいないのである。だが、不思議なことに、1月末に私が訪れた時には、役場の駐車場に多数の車が出入りしていた。運転している人々に聞くと、地区ごとに村内をパトロールする「見守り隊員」なのだという。庁舎の裏手に「いいたて全村見守り隊パトロール詰所」がある。中に入ると、広いホールに講習会場のようにたくさんの長テーブルが並べられ、その両側に椅子が配置されている。20~30人の人々が思い思いのようすで座っていた。この「見守り隊」は村民400人ほどからなり、1日おきに昼夜3交替、1日8時間勤務する。4時間見回りをして4時間休息を取るスケジュールになっているという。隊員たちは南相馬などの線量の低い地域に避難しており、見守り隊員としての仕事の報酬と、村民相互の交流のために、放射線量の高い飯舘にやってくるのである。

一人ひとりが累積線量計を持っている。私が話を聞いた初老の男性は、この8か月間の飯舘でのパトロールで4ミリシーベルトを浴びたと言い、「俺たちはモルモットだから。ただで健康診断をやってくれるんだ。データ取っているだけだ。10年も経ってがんで死んだら、死者1てなものでねえか」と言い、著者に対しても「早くここを出て行ったほうがいいよ」と笑っていた。この8か月間で、村内の犯罪は、空き巣が1件のみということであるから、この事業の目的は、明らかに雇用創出である。

原発災害は福島に何をもたらしたか

 

今回の原発災害のもとは、東京電力福島第一原子力発電所で発生した事故である。この原発は、普通には福島第一原発と呼ばれる。東京電力では福島第一原発をF1、第二をF2と呼ぶ。だが地元の人々は憤を込めて言う、「なぜ福島という言葉が原発名につけられているのか」と。そのために福島の人々は重いスティグマを負わされてしまったというのだ。他の原発で県名がついているのは、福島第二原発のみで、北海道にあるのは北海道電力の泊原発、青森県には東北電力の東通原発、宮城県の女川原発、新潟県には東京電力の柏崎・刈羽原発、静岡県には中部電力の浜岡原発、原発銀座と呼ばれる若狭湾の沿岸には、敦賀、美浜、大飯、高浜などの原発がある。中国電力、四国電力、九州電力管内でも事情は同じである。いずれもそれらが立地する市町村名などの地名を付けられていて、県名が付けられてはいないのである。福島県民としては、県全体に汚名を着せられたような感じがすると言うのだ。

被災者は放射能除染の効果に懐疑的である。「除染しても線量はほとんど下がらない」とか「除染しても、すぐ元に戻る」という話をしばしば聞かされたものである。著者が利用したタクシーの運転手は、伊達郡桑折町こおりまちで桃の果樹園をやっている。彼のところの桃の木も放射能に汚染されていたので、業者がやってきて高圧水を吹きつけて除染したという。除染済みの木にはピンクのリボンをつけるのだが、しばらくするとピンクリボンの桃の木の線量はもとに戻っていたと、諦め口調で話していた。

かりに除染が進んで、政府や市町村から避難地域の安全宣言が出されたとして、いったいどのくらいの人々が、かつての自宅に戻って生活するであろうか。特に若い世代の人たちをどのくらい引きつけられるかが問題である。医療や教育、交通などのインフラのない、もともと高齢者が多く、過疎化が進行していた地域である。新しい産業を誘致するインセンティブもあるようには見えない。そして、終息するまでに数十年かかる災害の特殊性がある。排出された放射性物質はヒロシマに投下された原爆の数百発分を下らないのである。地球規模での放射能汚染をもたらしFUKUSHIMAは、今やチェルノブイリ、スリーマイル島と並んで原発災害の代名詞にまでなっている。我々の調査で、日本人の多くが、東日本大震災とは原発災害であると認知している理由は、十分に理解可能である。

被曝への不安は弥漫びまん的である。そして、とらえようがないだけ、心身への危害性は大きい。下図は、既述の我々の全国調査で、原発事故による放射線への不安の程度を聞く質問への回答分布を示している。「非常に不安である」と「かなり不安である」とを合わせると、日本中で8割以上の人々が放射線への被曝の不安を訴えている。


原発災害の実態は不分明でイメージの世界でしか理解することができない。災害衝撃期は長期にわたり、終息の時期も影響の範囲も科学的に確定できない。すべてがファジーなのである。そして、さらなる問題は、この原発災害が人為災害であると、一般に認知されていることである。被災者は誰が加害者であるかを知っている。責任を追求し、損害賠償を求めるべき相手がある。国や政治家、原子力関連の企業への問責は、水紋状に拡大し、国境を超えて、国際的な原発リスクについての厳しい問いを投げかけている。レベル7の原発災害は、M9.0の地震の被害よりも規模はより大きく、影響はより深刻である。

前回の記事で最も深刻な被害を与えたのは「原発災害」だと答えた人が、全体の55.4%(665人)に達していることを示した。そこでこれらの人々に、原発災害の原因をどう考えるかを尋ねたのである。回答の分布は下図に示されている。原因帰属の順からは、「東京電力の原発に対する安全管理」「津波」「政府の原発に対する監督・管理」の順に事故原因への寄属の程度が減少している。ここから読み取れるのは、原発災害は人為災害だという国民の基本的なスタンスである。