安全・安心研究センター 広瀬弘忠のブログ

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原子力災害・放射能汚染・アスベスト災害

原発災害は福島に何をもたらしたか

 

今回の原発災害のもとは、東京電力福島第一原子力発電所で発生した事故である。この原発は、普通には福島第一原発と呼ばれる。東京電力では福島第一原発をF1、第二をF2と呼ぶ。だが地元の人々は憤を込めて言う、「なぜ福島という言葉が原発名につけられているのか」と。そのために福島の人々は重いスティグマを負わされてしまったというのだ。他の原発で県名がついているのは、福島第二原発のみで、北海道にあるのは北海道電力の泊原発、青森県には東北電力の東通原発、宮城県の女川原発、新潟県には東京電力の柏崎・刈羽原発、静岡県には中部電力の浜岡原発、原発銀座と呼ばれる若狭湾の沿岸には、敦賀、美浜、大飯、高浜などの原発がある。中国電力、四国電力、九州電力管内でも事情は同じである。いずれもそれらが立地する市町村名などの地名を付けられていて、県名が付けられてはいないのである。福島県民としては、県全体に汚名を着せられたような感じがすると言うのだ。

被災者は放射能除染の効果に懐疑的である。「除染しても線量はほとんど下がらない」とか「除染しても、すぐ元に戻る」という話をしばしば聞かされたものである。著者が利用したタクシーの運転手は、伊達郡桑折町こおりまちで桃の果樹園をやっている。彼のところの桃の木も放射能に汚染されていたので、業者がやってきて高圧水を吹きつけて除染したという。除染済みの木にはピンクのリボンをつけるのだが、しばらくするとピンクリボンの桃の木の線量はもとに戻っていたと、諦め口調で話していた。

かりに除染が進んで、政府や市町村から避難地域の安全宣言が出されたとして、いったいどのくらいの人々が、かつての自宅に戻って生活するであろうか。特に若い世代の人たちをどのくらい引きつけられるかが問題である。医療や教育、交通などのインフラのない、もともと高齢者が多く、過疎化が進行していた地域である。新しい産業を誘致するインセンティブもあるようには見えない。そして、終息するまでに数十年かかる災害の特殊性がある。排出された放射性物質はヒロシマに投下された原爆の数百発分を下らないのである。地球規模での放射能汚染をもたらしFUKUSHIMAは、今やチェルノブイリ、スリーマイル島と並んで原発災害の代名詞にまでなっている。我々の調査で、日本人の多くが、東日本大震災とは原発災害であると認知している理由は、十分に理解可能である。

被曝への不安は弥漫びまん的である。そして、とらえようがないだけ、心身への危害性は大きい。下図は、既述の我々の全国調査で、原発事故による放射線への不安の程度を聞く質問への回答分布を示している。「非常に不安である」と「かなり不安である」とを合わせると、日本中で8割以上の人々が放射線への被曝の不安を訴えている。


原発災害の実態は不分明でイメージの世界でしか理解することができない。災害衝撃期は長期にわたり、終息の時期も影響の範囲も科学的に確定できない。すべてがファジーなのである。そして、さらなる問題は、この原発災害が人為災害であると、一般に認知されていることである。被災者は誰が加害者であるかを知っている。責任を追求し、損害賠償を求めるべき相手がある。国や政治家、原子力関連の企業への問責は、水紋状に拡大し、国境を超えて、国際的な原発リスクについての厳しい問いを投げかけている。レベル7の原発災害は、M9.0の地震の被害よりも規模はより大きく、影響はより深刻である。

前回の記事で最も深刻な被害を与えたのは「原発災害」だと答えた人が、全体の55.4%(665人)に達していることを示した。そこでこれらの人々に、原発災害の原因をどう考えるかを尋ねたのである。回答の分布は下図に示されている。原因帰属の順からは、「東京電力の原発に対する安全管理」「津波」「政府の原発に対する監督・管理」の順に事故原因への寄属の程度が減少している。ここから読み取れるのは、原発災害は人為災害だという国民の基本的なスタンスである。

地震と津波と原発災害の複合

 

3.11以来、私は東日本大震災の被災地を4回訪れて調査を行った。何といっても、最大の被災地は福島県である。地震と津波による大打撃を受け、しかも原発災害で甚大な被害をこうむっている。

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われわれが東日本大震災の3ヵ月後に行った全国調査から得られたデータにより作成した図である。「東日本大震災で起きた地震、津波、原発被害のうちで、最も深刻な被害を与えた災害は何ですか」という質問に対する回答分布を示している。原発災害が最も深刻であったという回答が過半に達しているのが注目できる。

 

M9.0の巨大地震や10メートルを超える巨大津波よりも、直接的な死者を出さなかったレベル7の過酷原発災害のほうが、なぜ深刻だと判断されるのか。

理由1:地震や津波などの自然災害は体感型災害であるという事実にある。被害の程度が具合的に把握でき、しかもその責任を帰属させるべき大自然を前にして、被災者の多くは、ひたすら頭をたれる以外になすすべがないからだ。

理由2:理由第1と密接に関係している。原発災害には、インフルエンザ・パンデミックと同じように、災害因を五感でとらえられない不気味さがある。私が福島第1原発近くの避難所であった人々は、原発関連の仕事をしていた人が多いせいか、放射能被爆に関しては、恐れというよりも諦めの気持ちをあらわにしている人が多かったように思う。避難を余儀なくされているが、東京電力に対するうらみはないと言うひともいる。だが、不思議なことに、60キロも離れた福島市や郡山市の人々は、両市の線量がともに高い一方で、原発による直接的恩恵も受けていないせいもあろうか、放射線被曝に対する恐怖心がより強いのである。

過去30年間に日本で発生した被害地震(死者10人以上)のすべてが想定外の地域で起こっていると言ったのは、ロバート・ゲラー東京大学教授だ(Nature,472,7344)。6,400人の死者・行方不明者を出した1995年の阪神大震災にしても、後になってからいろいろな人たちがさまざまな研究発表を並べ立てて、あたかも直下型の大地震をあらかじめ予測していたかのようなことを言ってみたり、メディアもそれを大きく取り上げたりする。68人の死者を出した2004年の新潟県中越沖地震でも同じだ。新潟の中山間地を襲ったM6.8の直下型地震で、川口町では日本の震度階でこれ以上ない最高レベル震度7の揺れを記録したこの地震を、自分は本当に予知していたと言える人が果たしているだろうか。

 

その意味からして、東日本大震災は、誰も正面きって予知していたと明言できない大地震だ。予知というのは、「ありそうだ」とか「いつかはきっと」などといったレベルの予想とは違うものでなければならない。

 

貞観地震(869年)やこの地震に起因する津波のことを言い立てたところで、それは1142年も昔の歴史的な災害にすぎない。われわれの意識からすれば6千500万年前にメキシコのユカタン半島沖に激突し、地球上の種の3分の2以上を絶滅させたという直径10キロほどの小惑星の存在とほとんど違わない。災害や事故が想定外であるという言葉が意味するのは、ある特定の想定に立ったときにその範囲内に含まれていないことが起ったということを言っているにすぎない。想定外といってみたところで、それはご自身の想定になかったということで言い訳にもならない。

 

「明日起っても不思議ではない」という殺し文句で世の中を不安にさせ、東海地震の直前予知は出来るという無理まで世間に承知させて1978年に「大規模地震対策特別措置法」が制定されたのは、地震恐怖症が、不可能な地震の直前予知を可能だということにして、国の法律までも作ってしまったという世界でも希有の例である。この法律が現在でも存続していることの意味は、依然として東海地震の直前予知が、条件つきであるにしても想定されているということなのである。ところが、世界の多くの地震学者は、直前予知は出来ないとはっきりと明言しているのだ。この場合は誤った想定が、国民に誤った幻想をもたらす想定害だということになる。

 

多くの大災害は想定外のところで起こるという事実を忘れてはなるまい。それはアキレウスの踵を鋭くつき刺したパリスの放った矢の如きものである。想定内だとか想定外だとか言わないことにしよう。想定していないことが起るから被害を生じるのだ。災害とはそうしたものである。災害予知は不可能だということを認めよう。そのうえで、われわれには、想定外の災害が起こってもそれをはね返す災害弾力性がもとめられるのである。災害に対する抵抗力、免疫力のことである。これらの涵養につとめることが肝要だ。