現在、多くの原発サイトで再稼働の動きがあるが、福島第一原発事故の原因究明と事後処理が終らない段階での再稼働は認められない、とコメント(2021年3月13日 北海道新聞朝刊)
原子力災害・放射能汚染・アスベスト災害
現在、多くの原発サイトで再稼働の動きがあるが、福島第一原発事故の原因究明と事後処理が終らない段階での再稼働は認められない、とコメント(2021年3月13日 北海道新聞朝刊)
2021年2月28日長埼新聞他各紙に掲載「10年前の東京電力福島第1原発事故の経験は生かされず、再稼働した原発で同様の過酷事故が起れば、住民避難は困難になる」と論評
2021年2月3日 日本テレビ「スッキリ」
日本のホームセンター等で売られたバスマットに、アスベストが混入していた理由とアスベストの発がん性について
東海第2原発は原子力規制員会の審査を通過したが、事故時の想定被災地域の住民の避難場所が整備されていないことに対して、以下のような原子力行政への批判を行った
2020年12月10日北海道新聞朝刊において、12月4日の大阪地裁の関西電力大飯3・4号機の設置許可を取り消すとする判決に対する原子力規制委の委員長のコメントは、原発稼働を最優先にし、司法は科学的リテラシーを欠くなどと批判するもので不避のそしりをまぬかれないと批判した。
21世紀型の災害は、規模の大きさと複合的な波及性、そして、なによりも衝撃がきわめて長期に渡るという点で、過去の災害とは異なる。従来型の災害に慣れてきたマスメディアは、この型の災害の本質を正確に掴みきれないでいる。
昨年3月11日の東日本大震災では、最初に巨大地震が発生した。次にこの地震による巨大津波が発生した。警察庁の発表によれば、死者・行方不明者19,009人のうち、9割以上が津波による溺死である。
いま、メディアの関心は津波に集中し、巨大津波を引き起こす海溝型地震の危険を訴える報道にシフトしている。「あつものに懲りて膾を吹く」たぐいの過剰な被害想定には十分な批判の目を向けるべきだろう。
津波は、最悪の原発事故を引き起こした。災害ドミノ倒しはこのように直線的に起こるだけではなく、面的な広がりももっている。
たとえば、地震や津波で生じた瓦礫の処理を行う人々は、将来、アスベスト特有のがんである中皮腫にかかるかもしれない。17年前の阪神大震災で瓦礫撤去を行なっていた人々が中皮腫にかかり、労災認定を受けている。現代の災害は、「想定外」の被害を随所に生み出すのである。
原発事故がもたらした放射能汚染は、農林、漁業に大打撃を与えている。マスメディアは、これらの現実を全体として国民に理解してもらえるよう努力しているだろうか。個々の被害を、複合災害全体を俯瞰する立場から捉え、その本質に踏み込むことが重要である。
被害者に寄り添うのは良いが、災害に個人の悲劇のみを見るのは安易すぎる。解くべき課題は、現代社会がかかえる災害脆弱性なのである。木だけを見ていては森は見えてこない。
次の問題は、災害の長期化である。原発事故による放射能汚染や巨大津波によるコミュニティの完全崩壊からの回復には、長い時間が必要である。そして憂慮されるのは、密かに進行する被害の拡大である。
時限爆弾の発火装置は、静かに時を刻んでいく。ところが、メディアはこのような災害を捉えるのが不得意である。すでに述べたアスベストの場合がそうであった。中皮腫は20年、30年もの潜伏期を経て発症する。
ニューヨークタイムズのジェーン・ブロディは、今年の8月21日の健康・科学欄に、画像診断医学に関わる専門家の意見をまとめて紹介している。それによると、CTスキャンによる放射能被爆だけでも、10年から20年後にがんを引き起こす危険があり、それは米国人の発がん全体の1.5%程度におよぶ恐れがあるという。
原発事故による低レベル放射能被爆に関して、多くの日本人が不安を感じている。その不安を宥めるような報道も目立つ。マスメディアは低レベルの放射能被爆が健康におよぼす影響について、きちんとした検証を約束して、その結果を逐次国民に伝えていくべきだろう。3.11当初からの原発報道の混乱ぶりは国民のメディアへの信頼を損なった。今度は、それをぜひ取り戻してもらいたいのである。
一方、上の図は「最も信頼できない情報源」を示している。
政府・省庁は、震災前も信頼できない情報源のトップに位置していたが、震災後は59.2%と、圧倒的に多くの人々が政府や省庁からの情報を最も信頼できないとしている。
これは理由のないことではあるまい。
嘘をつかないまでも、情報を隠していると、多くの人々が疑っていたのだ。
SPEEDIの情報をはじめとして、東京電力福島第1原子力発電所のなかで実際に起っていることや、モニタリングの結果について明確に述べることを避けてきたために、このように国民から信頼されないというツケを払わされたのである。
人が動かない理由-正常性バイアス
われわれは、危険に直面しても、それを感知する能力が劣っている。
その理由は、予期しない異常や危険に対して鈍感になるように、われわれの行動スクリプトが作られているからである。
日常の些細な変化に過度に反応しないように、閾値が組み込まれているのだ。
その閾値は、社会環境の安全度に見合うかたちで上昇したり下降したりするのである。
われわれの精神は、このような“遊び“をもつことで、心的エネルギーのロスと過度の緊張のリスク避けている。
ある範囲内までの異常を異常と感じさせず、正常の範囲内のこととして扱う「遊びのメカニズム」を、正常性バイアスという。
一般的には、文明や文化の進展とともに環境からの安全性が保障されるようになればなるほど、正常性バイアスはより強く働くようになる。
そのために、身にせまる危険を危険としてとらえることを妨げられて、危険を回避するタイミングが奪われてしまうのである。
東日本大震災では、津波によって多くの人命が失われたが、すでに述べたように、地震の後に津波が来襲するまでには、多くの被災地で1時間以上もの時間の余裕があったはずなのである。
それにもかかわらず、多くの人々は、避難行動を起こさなかったのである。
ところによっては、高さ10メートルの万里の長城のような防潮堤が、自分たちの安全を守ってくれるという虚構の安心感があったのかもしれない。
しかし、これらの地域は、明治三陸津波、昭和三陸津波、チリ津波などで多くの犠牲者を出し、いわゆる津波文化があるといわれていた地域である。
2004年のインド洋大津波のときにもインドネシア・タイなどの被災地では同様な光景が見られた。
人々は正常性バイアスの影響で、逃げるべき時を失ってしまうのである。
続く